こんにちは。今回はアイディアを効果的に深めていくための先生との付き合い方が少し見えてきた感じがするので、それについてお話させていただきたいと思います。
(前回はこちら:【美大留学記#02】評価を気にせずに、納得するまでやり切って見えてきたもの)
私自身が日本の美術系ではない学部(経済学部)を卒業していることもあり、入学してから1年半近く経ってもそのあまりの違いに慣れないのですが、その中でも大学の中での「先生」の位置付けは日本の大学とかなり違います。
それゆえに、先生からのアドバイスやフィードバックの捉え方も日本で慣れ親しんできたやり方から変える必要がある訳ですが、私は失敗を通してやっと最近それに気付きました。。。
という訳で、今回は『先生のアドバイスと自分のやりたいことをぶつけて、アウトプットの質を高める』というテーマでお伝えさせていただきます。
「先生」と聞いてどんなイメージを思い浮かべるでしょうか?教授?その分野の権威?プロフェッショナル?少なくとも授業を担当している以上は、生徒が疑問に思ったことに対する「正解」を知っている、と思う方が多いのではないでしょうか。
確かに、日本の学校では小中高に限らず大学でも先生に質問すれば(それが自分が望んだ答えがどうかは別にして)何らかの「正しい答え」を得ることが普通で、当たり前のことだと一般的には考えられているかと思います。
「先生は(教えている分野については)知識も経験も豊富で、先生の言っていることは正しい」
私もそう思っていましたし、1年生の時はそれで問題がなかったのです。しかし、2年生になって課題の抽象度が上がってはじめて、どうやらそうではないことに気づいたのです。
どのように課題を発展させていくかを先生と話しても、何だかスッキリしないというかモヤっとしたままの状態で終わることが多く、自分の求めているものが手に入っていない感。今考えれば「先生に求めているもの」を私が間違っていたので当たり前なのですが、その頃はそれに気づくことができませんでした。
つまり、先生とはチューターのような存在で生徒の成長をサポートすることがその役割であり、決して正しい答えを生徒に教える存在ではない、ということですね。
生徒に正しい答えを教えることが先生のメインの役割になってしまったら、その分生徒が自分で考え悩み成長する大切な機会を奪うことになってしまいますし、そもそも課題に対しての「正しい答え」など最初からないんです。
課題自体も、例えば〈小さい変化で大きな影響を与えるデザイン〉というように抽象的で自由度が高いものばかりなので、もし先生が「こういうデザインにすればいいよ」と答えを示してしまっては、それは生徒ではなく「先生の作品」になってしまいます。
作品とは生徒が自分の頭をギュウギュウに絞ってアイディアを捻り出し、試行錯誤を重ねた末に形にしたものである必要があり、だからこそ先生は生徒に対して「正解」を知っていてはいけない訳です。
作品とは生徒が考え抜いたアイディアを生徒独自の方法で発展させて形にしたもの。もしそうだとするなら、先生の役割とは何なのでしょうか?
「自分で最初から最後までやり通してオリジナリティのある作品を作るんだったら、先生のアドバイスとか要らないんじゃないか?」
「いや、むしろ自分の興味・関心を深堀りしてそれを純粋に形にしたら、いい作品が生まれるんじゃないか?」
そんな風に思っていた時期もありましたし、それを試してみた課題もありました。
結論から言うと、私の考えは間違っていました。
なぜならば、自分のアイディアを魅力的な形に変えるために必要な要素を見落としていたからです。(課題の最終講評を受けた後に、冷静に振り返ってみてはじめて気づいたことですが。。。)
その必要な要素とは、例えば
と言うようなことです。
自分の興味・関心に素直に従って作品を発展させることは自分を常にワクワクしている状態にもっていくことなので、魅了的な作品を生み出すためにはもちろん大切なのですが、一方で上記のような客観的な観点がないと、デザインとしては無価値なものを作り出すことにつながってしまうことがあるからです。(例えば、それがどんなに素敵な形の穴でも、穴だらけの傘は雨の日には使えない。)
だからこそ、「チューターとしての先生」が必要な訳で、先生と自分のアイディアについて話し合う必要がある訳です。
では、先生とのミーティングを効果的にするためにはどうしたらいいのか?
独りよがりになってしまった課題の失敗を振り返って、私が考えたポイントは下記の3つです。
①自分の興味・関心から出てきたアイディアをきちんと伝える
②自分のアイディアの“ウィークポイント”を受け入れる
③アイディアを形にするために“What”ではなく“How”を一緒に考える
①については言うまではなく、②については第三者からの批判的な視点(客観的な観点)を入れるという目的ですね。そして、③については先生の良さを活かして自分のアイディアを魅力的なデザインに昇華させる目的です。
先生は私たちをサポートしてくれるチューターである前に、私たちよりも早くデザインのフィールドで戦っている先輩デザイナーです。そして、彼らは社会の中でデザイナーとして生きていくための知恵と経験を当然、私たちよりもたくさん持っているはずなので、それを上手く引き出して助けてもらおうという訳です。
それゆえ、彼らに対して“What”=「(正しい)答え、何をつくるべきか」を尋ねるのはナンセンスで、“How”=「素材、メディア、制作プロセスといった観点から、どのようなアプローチをとるか」ということを一緒に考えてもらうように巻き込めればこっちのもの。
先生も「最終的な目的地」は知らないけれども、自身の経験から一緒に「向かうべき方向」を考えることができる。
言い換えれば、こういうことです。
最終的な目的地が見えなくても、先生と向かうべき方向を一緒に考えて、進みながら目的地(着地点)を探していく。こういった「行動を通して学んでいく」方法を“Experimental Learning”と言うそうで、デザインアカデミーではこのスタイルを採用しているそうです。
(Experimental Learning についてはこちらの記事で紹介しているので、興味がある方はぜひ。
デザインアカデミーアイントホーフェンの授業は「まずやってみる!」スタイル)
今回は、魅力的なアウトプットを生み出すための先生との付き合い方についてお話させていただきました。
自分がワクワクする興味や関心のあることをスタートポイントにしながらも、相手の知識や経験を活かした方法で一緒に見えないゴールを探っていく、というのはデザイン以外のフィールドでも使えるアプローチなのではないでしょうか。
このことに気がついたのが本当につい最近なので、私自身も引き続きこれを実践しながら、より質の高いアウトプットを生み出せるような方法についてもっともっと探っていき、そのフィードバックもまた記事としてご紹介できたらと思います。
それでは。
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